映画「少年H」

日曜日は、すでにお知らせしたように、雨の一日であった。
登山の練習は出来ず、昼に散歩、夜間は映画を見ることにした。
鑑賞した映画は、水谷豊主演「少年H」である。
モスクワ国際映画祭で賞を取ったことと、水谷豊、伊藤欄夫婦の競演が話題となっている。
肝心の映画の方であるが、派手なところは一つもなく、地味な映画である。
この映画の評価は、他の人に任せることにして、淡々と場面が進んでいく中での、父親役の水谷豊の言葉が重みを持つ。
僕らも時に、両親、時に教師になどに言われる言葉であるが、今の日本の社会では話されることがあるのだろうか。
また戦争という問題もテーマの一つだろう。
戦争はもうしない。行われることはないだろうと思っている人が多いと思う。
しかし、僕は今の方が批判的に物事を見る人が少なく、止められることなく進んでいく可能性が高いのではないか…と実は思っている。
話は変わるが、神戸が焼夷弾で、火の海になるシーンがあるが、これほどリアルなのは初めてである。
全体を通して、自分が感じたことは、他の人と違う立場の人、逆境の立場の人こそ、つらい目、つらい仕打ちに合うことになるが、それは真実にもっとも近い所にいるからではないか…。
そんなことを強く感じた。

<あらすじ>
昭和初期・神戸。洋服の仕立屋を営み、柔軟な考えを持ち、家族を温かく見守る父親・盛夫。大きな愛で家族を包む母親・敏子。そんな二人のもと、好奇心旺盛に育つHこと肇。そして妹の好子。幸せに暮らしていた4人だったが――。H一家の周りでも、近所のうどん屋の兄ちゃんが、政治犯として警察に逮捕されたり、召集令状がきたオトコ姉ちゃんが入隊せずに脱走して、憲兵に追われるなど、徐々に不穏な空気が漂うようになっていく。やがて戦争がはじまり、軍事統制も厳しさを増し、自由な発言をしづらい時代の中、盛夫は、周囲に翻弄されることなく、「おかしい」「なんでや?」と聞くHに、しっかりと現実を見ることを教え育てる。中学校に入ったHを待っていたのは、軍事教練ばかりが続く毎日だった。盛夫は消防署に勤めるようになり、敏子は隣組の班長に、そして好子は田舎に疎開することになるなど、戦況が不利になるにつれ、それぞれの日常が激変してゆく。ついに神戸も大空襲に襲われ、終戦を迎えたとき、街は見渡す限り焼け野原になっていた。その中で、神戸も日本も新しく生まれ変わろうとする。そして、Hの一家も、小さいが確かな一歩を踏み出していく。

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